パウロ外伝 家出編2話【剣術の才能】


パウロがミルボッツ領内の学校に入学して、早2年が経とうとしていた。
相変わらず、気分が乗らない授業はサボっているため、剣術の授業以外の成績はあまり振るわない。

父親のアマラントは頭を抱えているようで、パウロへの当たりは年々厳しさを増している。

その日、長期休暇で実家に戻ったパウロは、愛する母親から衝撃の真実を告げられた。

パウロ
「母様……今、なんて……?」

バレンティナ
「ふふふ、だからね、パウロ。
わたくしのお腹に赤ちゃんがいるの。
あなたの弟か妹よ」

バレンティナ
「次の長期休暇の時には生まれてくる予定よ。
……ああ、わたくしの可愛い子……早くあなたに会いたいわ」

パウロ
「………………」

母が慈愛に満ちた顔で、まだあまり大きくなっていない腹を撫でる。

いつもパウロを撫でてくれる、あたたかい手。
その手の優しさは今、パウロには向けられていない。

バレンティナ
「どうしたの? パウロ?
びっくりしすぎて声が出なくなっちゃった?」

パウロ
「! は、はい……びっくりしました。
おれにきょうだいができるんですね……。
おめでとうございます」

パウロ
「あっ! これから剣術の修行があったんでした。
もっとお話ししたかったんですけど……すみません……」

バレンティナ
「いいのよ。精一杯がんばっていらっしゃい。
あなたはお兄様になるのだから、しっかり励むのよ」

パウロ
「……はい。失礼します」

母親の部屋を出て、早足で廊下を進んで行く。
一歩踏み出すたびに胸の中が重くなって、パウロは服の胸元をギュッと掴んだ。

パウロ
(なんだ? なんなんだ?)

パウロ
(弟か妹ができるのは、うれしいことなのに、なんでおれの胸はこんなに……)

パウロ
「ザワザワしてるんだろう……?」

自分でも把握しきれない気持ちを抱えたまま、パウロは敷地内にある剣術の演習場に向かう。

そこには剣術の指南役として招かれている女剣士の姿があった。

女剣士
「遅いよ、坊ちゃん。
決められた時間は守りなさい」

パウロ
「は、はい、すみません……」

女剣士
「よし、謝罪を受け入れよう。
じゃあ剣を構えて。実戦形式でやっていくよ」

女剣士
「遠慮なく打ち込んでいくから、怪我したくなかったら全力で止めること」

パウロ
「え? いきなりですか?」

女剣士
「今日はこのあと旦那様に呼ばれていてね。
ただでさえ時間が限られてるのに、きみが遅刻なんてするから」

パウロ
「その……ちょっといろいろあって……」

女剣士
「別になんでもいいよ。興味ないし。
ほら、さっさと構えなさい……いくよ」

剣術の家庭教師として招かれた彼女は、小柄な見た目とはうらはらに、剣神流の使い手だった。

攻撃的で速度重視、一撃必殺を旨とする戦い方は、パウロが学校で習っている水神流の戦い方とは真逆だ。

ふたつの流派を同時に学ぶのは大変だが、それ以上にやりがいがあり、何より、剣術は面白かった。

剣神流講師
「はぁぁああっ!」

剣神流講師が素早く踏み込んで鋭い一撃を放つ。
パウロはその場に踏ん張り、なんとか剣を受け止めた。

パウロ
(っ……重い……!)

パウロ
(その細い腕のどこにこんなパワーが!?
どうしてこんなに重いんだよ!?)

剣神流講師
「ちゃんと集中してる?
余計なことを考えている余裕があるのなら、次はもう一段階スピードを上げるよ」

パウロ
「え!? まだ上がるんですか!?」

剣神流講師
「余裕を持って学んだところで何も身につかないでしょ。
……ほら、集中して」

パウロ
「は、はい……!」

パウロ
(落ちつけ、おれ!
落ちついて丁寧に対処して――)

結果から言うと、パウロは剣神流講師に手も足も出ず、地面に伏せって倒れることになった。

彼女と同じ剣神流で対処しても力負けし、ならばと、防御に優れた水神流で対処したが、カウンターを取ることはできずに終わる。

パウロ
「はぁ、はぁ……参りました……」

剣神流講師
「動けないの?」

パウロ
「はい……腕も、足も、痺れてて……」

剣神流講師
「そう。助けはいる?」

パウロ
「……だいじょうぶ、です。
もう少ししたら動けると思うので……」

パウロ
「まぁ、どうしてもダメなら、誰か呼ぶので……先生は、行ってください。
用事があるんですよね……?」

地面に倒れたまま、顔だけ上げて言うと、剣神流講師は腕を組んで首を傾げていた。

剣神流講師
「誰かを呼ぶって、誰を呼ぶつもり?
奥様の懐妊がわかって以来、みんなバタバタして忙しそうだけど」

パウロ
「! 母様のこと、知ってたんですか?」

剣神流講師
「知らないほうがおかしいよ。
これだけみんな騒いでるんだから」

剣神流講師
「ノトス・グレイラット家のふたり目の子供。
男の子でも女の子でも、みんなに祝福されて生まれてくるだろうね」

パウロ
「みんなに、ですか……」

剣神流講師
「なんにしても、生まれてくるまでの間と、生まれてからしばらくは、屋敷も落ちつかないと思うよ。
だからその間はしっかり剣の腕を磨きなさい」

剣神流講師
「坊ちゃんには光るものがある。
これから成長して身体ができあがっていけば、腕前はかなりのものになる……気がする」

パウロ
「気がするって……なんですか、それ……。
もっと確信持って言ってくれないんですか?」

剣神流講師
「明言はできないよ」

パウロ
「……なんでです?」

剣神流講師
「才能があっても大成しないやつはしないし、将来的に坊ちゃんが飽きて、剣を捨てる可能性だってあるし」

パウロ
「え……」

剣神流講師の言葉にパウロは目をまたたかせる。

パウロ
(剣を捨てる……)

剣神流講師
「何? その間抜けな顔は?」

パウロ
「いえ、剣を捨てるなんて……、そんなこと、考えたこともなかったなぁって……」

パウロ
「修行はきついし、学校でも家でも、先生たちにボッコボコにされてるけど……おれにとって、剣は一番おもしろいものだから……」

剣神流講師
「ふーん……」

パウロ
「……先生、さっきから反応が適当すぎませんか?」

剣神流講師
「普段の様子を見ているとね。
剣術だけは真面目にしているけど、それ以外はそうでもないみたいだから」

剣神流講師
「わかってると思うけど、貴族である以上、剣術だけできても周りには認めてもらえないよ?」

剣神流講師の忠告に、パウロは苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らした。

パウロ
「先生までお説教はやめてくださいよ」

剣神流講師
「そうだね。お説教はあたしの仕事じゃない。
坊ちゃんの矯正は契約外だし、あたしの受け持ちに関しては坊ちゃんは優等生だから」

そう言うと、剣神流講師はパウロを抱き上げた。

パウロ
「せ、先生!?」

剣神流講師
「ついでだよ。屋敷までつれて行ってあげる」

パウロ
「だいじょうぶです!
だいじょうぶですから! 下ろしてください!」

軽々と抱き上げられて、プリンセスホールド。
どこかの令嬢が喜びそうだ。

パウロ
「ねえ!? 先生、話聞いて!?」

いくらそこから逃れようとしても、剣神流講師の腕はがっちりとパウロを捕まえている。
結局そのまま屋敷まで運ばれることになった。

それから数か月後。

ノトス・グレイラット家にふたり目の男児が生まれた。
ピレモンと名づけられ、両親の愛情を受けてすくすく成長している。

パウロ
「母様、庭園の薔薇がきれいに咲いています。
一緒に見に行きましょう?」

バレンティナ
「ごめんなさい、パウロ。
薔薇は棘があるでしょう?
危なくて、赤ん坊のピレモンをつれて行けないわ」

パウロ
「じゃあ、おれと母様のふたりで行きましょうよ」

赤ん坊を抱いてあやす母を前に、パウロは唇を尖らせる。

バレンティナ
「あら、そんなのダメよ。
ピレモンを仲間外れにしたら可哀想だわ」

パウロ
「でも、おれはいつもは学校にいるし、母様とはたまにしか会えません……。
もっと一緒にいたいんです……」

バレンティナ
「パウロ……そうね。
わたくしの気持ちも、あなたと同じよ。
いつも一緒にいられなくて寂しいわ……」

パウロ
「じゃあ……!」

バレンティナ
「だから今日はここでお茶にしましょう。
あなたの好きなお菓子も用意させるわ」

パウロ
「! で、でも……」

パウロ
(それじゃあピレモンも一緒だ。
母様とふたりっきりじゃない……)

なんだか胸がモヤモヤする。
重苦しくて、どこか面白くない。

納得できないというパウロの気持ちを察したのか、母は困ったような笑みを浮かべた。

バレンティナ
「パウロ、ピレモンはあなたの弟よ。
お兄ちゃんとして、この子と仲良くしてあげてね」

パウロ
「……はい」

パウロ
(ピレモン、ピレモン、ピレモン……。
母様はピレモンのことばっかり気にかけてる)

パウロ
(ピレモンが赤ん坊だから?
それとも、おれよりピレモンのほうが――)

パウロ
(――って、おれは何を考えてるんだ!
弟のほうがかわいいなんて、そんなはずないだろ!)

嫌な考えを打ち消すように頭を振る。
それでも、その暗い考えは完全には消えてくれなかった。

パウロ
(母様がピレモンを気にかけるのは、こいつが成長するまで……赤ん坊のうちだけだ)

胸の中に澱みを残したまま長期休暇が明けて、パウロは学校へ戻ることになった。

そして彼の、弟が成長するまで、という願いも虚しく――。

パウロが学校で過ごしている間に、母をはじめ、父や使用人たちもピレモンに気を取られていき、次第に長男の存在は、家の中で薄れていったのである。

数年後――。
パウロ・ノトス・グレイラット、10歳。

数年の間に講師たちは何も言わなくなった。
今日も今日とて、彼はことごとく授業をサボり、剣術の修行に勤しんでいる。

水神流講師
「うーん、あなたはあれですね」

パウロ
「はい?」

水神流講師
「わたしの教える水神流より、家で習っているという剣神流のほうが肌に合っているようです」

パウロ
「そうなんです、か?」

水神流講師
「自分で気づきませんか?
バランスよく両流派を使っているようですが、咄嗟の判断で動く時は、剣神流の動きになっています」

水神流講師
「貴族が使うのは基本的に水神流です。
貴族らしくないと言えばそうですが、あなたらしくはあるかもしれません」

パウロ
「おれらしい?」

水神流講師
「攻撃の剣神流……。
攻撃こそ最大の防御と言わんばかりの太刀筋……。
まさしくここ数年のあなたを表すかのようです」

パウロ
「そんなつもりはないですけど……、先生がそう言うのなら、そうなのかもしれませんね。
自分じゃわからないものでしょうし」

パウロは茶化すように肩を竦める。
水神流講師が眉を寄せた。

水神流講師
「あなたがそういう態度を取る時は、話題を避けたい時です」

パウロ
「……先生はおれよりも、おれのことに詳しいみたいですね」

水神流講師
「そんなの当然でしょう?
あなたと剣を交わすようになって、もう5年も経つんですから」

水神流講師
「今のあなたを残して行くのは、少し心配ですね」

パウロ
「え?」

水神流講師の言葉に、それまで茶化すような態度だったパウロは、ポカンとして首を傾げた。

パウロ
「どういう意味ですか?」

水神流講師
「まだ正式に発表されていませんが、近々……おそらく来月頃に、講師の職を辞することになりました」

パウロ
「は!? なんで!?」

水神流講師
「簡潔に言うと、子供ができたから、ですね。
今、わたしのお腹には新たな命が宿っています」

パウロ
「ま、待って……え……赤ちゃん……?」

突然の告白に頭の中がこんがらがる。
パウロは彼女の腹部から目が逸らせない。

パウロ
「先生って、結婚してましたっけ……?」

水神流講師
「いいえ、独身ですよ。
やることやっていれば、独身でも子供はできますから」

パウロ
「ち、ちなみに、父親は……?」

水神流講師
「ああ、校長ですよ」

パウロ
「校長!?」

水神流講師
「籍を入れる予定はありませんでしたが、子供ができた以上、責任を取ってくれるそうなので、お言葉に甘えることにしました」

水神流講師
「まぁ、同意の上でのことですから、一方的に責任を押しつけるつもりはありませんでしたが……、やむを得ないという感じですね」

パウロ
「やむを得ないって……。
それで、先生は幸せになれるんですか?」

5年もの間、剣を見てもらっていた相手だ。
パウロにとって他人事ではない。
ジッと見つめて尋ねると、彼女は微笑んだ。

水神流講師
「身体を許すくらい、憎からず思っていた人です。
そんな人と、これから生まれてくる子供と、3人で家族になることは、たぶん、幸せなことかと」

パウロ
「たぶん、ですか……」

水神流講師
「ええ、たぶん、です。
未来に確証はありませんから」

パウロ
「そうですね……。
でも、やっぱり少し心配です……」

水神流講師
「それはこちらのセリフです。
今のあなたを残していっていいものか……」

彼女の言葉にハッとする。

パウロ
(これから子供を産むって先生に、心配かけちゃダメだろ……!)

パウロ
「先生! だいじょうぶです!」

水神流講師
「パウロ?」

パウロ
「おもしろくないことはいっぱいだけど、おれには、剣がありますから!
それに気の合うヤツもいますし!」

それで充分だと胸を張った。
彼女はフッと笑みをこぼし、パウロの頭を犬にでもするようにガシガシと撫でた。

水神流講師
「来月……あなたの誕生日パーティーに、校長が招待されています。同伴させてもらって、最後に喝を入れなければと思っていましたが――」

水神流講師
「それも必要なさそうですね。
顔を見ればわかります。あなたに授けたものは、きっと無駄にならないでしょう」

パウロ
「はい。絶対に無駄にしません」

力強く頷けば、水神流講師は満足気に笑った。
その後、言葉のとおり講師の職を辞した彼女とパウロが会うことは、二度となかった。

1か月後――。

その日はノトス・グレイラット家の屋敷で、長男パウロの10歳の誕生日を祝うパーティーが開かれていた。

パウロ
(前の時よりも豪華だ。でも……)

パウロ
「え? 母様はもうお部屋に戻るんですか?」

バレンティナ
「ええ、あなたも知っているでしょう?
ピレモンが風邪をひいてしまったの」

パウロ
(風邪……そういえば朝、屋敷中がバタバタしてたな……)

パウロ
「……でも、今日はおれの誕生日パーティーです。
父様は他の方たちとの話が忙しいし、せめて母様は傍にいてくれませんか……?」

バレンティナ
「パウロ……」

バレンティナの手がパウロの頬を撫でる。

バレンティナ
「ごめんなさい。
こうしている間もピレモンは熱にうなされて、わたくしを呼んでいるの……」

頬を撫でてくれていた手が離れ、母はそのまま会場を去って行った。
残されたパウロは手の平を握り締める。

パウロ
(ピレモンが生まれてから、母様はあいつのことばっかりだ……)

視線をさまよわせて父の姿を探せば、彼は貴族の男性たちと楽し気に話していた。

パウロ
(おれの誕生日パーティーなのに、なんでだろ?
主役はおれじゃないみたいだ……)

こんなのつまらない。
いじけたパウロが会場を出て行こうとした時、目の前にひとりの少年が立ちふさがった。

フィリップ
「なんでそんなに浮かない顔してるの?
今日の主役はきみなのにさ」

パウロ
「フィリップ!?」

そこにいたのは、パウロの従兄弟、フィリップ・ボレアス・グレイラットだった。
彼は2、3年ほど前からパウロと同じ学校に通っている。

家同士のつき合いもあり、もともとよく知った間柄だったが、入学後は特に親しい関係に発展していた。

パウロ
「なんだ、フィリップも来てたのか」

フィリップ
「なんだって、何? 寂しい言い方するね」

フィリップ
「家同士の関係を考えたら、ノトス家の次期当主の誕生日パーティーに出席しないはずないだろう?」

フィリップ
「そうでなくても、きみの誕生日を祝わないはずないさ」

アスラ王国におけるグレイラット家は本家が4つあり、それぞれ東西南北を守護する武官貴族だ。

4家は力を持つゆえに複雑な関係を築いているが、現在のノトス家、ボレアス家に関して言えば、おおむね友好的な状態にある。

フィリップ
「今日のパーティー、すごく豪華だね。
内装も料理も華やかで、圧倒されちゃった」

パウロ
「うん、最初見た時はおれもビックリしたよ。
おぉ、これは父様張り切ったな! って」

パウロ
(ま、それがおれのためだったのかは、今となってはわからないけど……)

フィリップ
「そっか、叔父上が張り切ったのか。
どおりで素敵なパーティーだと思ったよ。
何よりも素晴らしいのは……」

フィリップ
「メイドの女の子たちが、いつにも増して可愛いことだね」

パウロ
「うん?」

フィリップ
「さすがノトス・グレイラット。
メイドの着てる服まで会場に合わせてあるよ。
パーティー用なのかな? うん、いいなぁ……」

フィリップ
「パウロも知ってのとおり、うちのメイドは獣族の子ばっかりだからね。
その子たちにも似合いそうだ」

フィリップ
「……よし、ぼくの誕生日パーティーでも、メイドのみんなには特別な格好で給仕してもらおう。
長いスカートに隠された……あはっ、楽しみだなぁ」

うっとりと目を細めるフィリップ。
その横顔を見て、パウロは彼の肩をポンと叩く。

パウロ
「フィリップ、顔がすごいよ。
秘密の花園に意識を飛ばしてるんだろう?」

フィリップ
「秘密の花園?」

パウロは目線を動かして、メイドのスカートを見る。
それだけで充分だった。
目を戻すと、フィリップがにっこり笑う。

フィリップ
「ああ、常世の楽園のことか。
あの中はいいよね。心が落ち着くし」

パウロ
(やっぱりこいつは……同士だ!)

どちらからともなく固い握手を交わしていると、ふたりに近づいてくる人がいた。

???
「フィリップ、こんなところで油を売っていたのか」

フィリップ
「兄上こそ、どうしてここに?
挨拶をしてまわっていたのでは?」

パウロ
「兄上……?」

フィリップ
「ああ、会ったことなかったかな?
ぼくの6歳上の兄、ジェイムズだよ」

パウロ
「ジェイムズ……はじめまして。
おれは――」

ジェイムズ
「知っている」

パウロ
(……ん?)

ジェイムズの目は明らかにパウロを見下している。
しかめられた顔と、ぶっきらぼうで不愛想な態度は、決して友好的とは言えなかった。

パウロ
(なんか、はじめましてなのに、態度悪くないか?)

ムッとして睨みかえせば、ジェイムズは鼻で笑う。

ジェイムズ
「お前たちは学校でもつるんでいるらしいな?
フィリップ、従兄弟同士とはいえ、プライベートでつき合う相手はきちんと選べよ」

フィリップ
「選んだつもりだよ。
パウロとはものすごく気が合うんだ」

ジェイムズ
「は? こいつと気が合う?
お前の将来が心配だな」

パウロ
「それ、どういう意味だよ?」

我慢の限界だ。
パウロは苛立ちのまま、ジェイムズと向かい合う。

パウロ
「さっきから好き勝手言ってくれるな。
フィリップと違って、きみとは、はじめましてだ」

パウロ
「きみはおれのこと、何も知らないだろ?
それなのにずいぶんな言い方じゃないか」

ジェイムズ
「そう思うか?
ノトス・グレイラットの問題児」

その言葉に、パウロは眉を寄せる。

パウロ
「それ、おれのこと?」

ジェイムズ
「有名な話だぞ」

ジェイムズ
「ノトス・グレイラット家の長男は、10歳になるのに、剣に現を抜かすばかりで勉学に励もうとせず、礼儀作法も身についていないってな」

パウロ
「そんなことはない!
最低限のことはわかってる!」

ジェイムズ
「最低限で充分だとでも?
ボレアスじゃ考えられないな。
ノトス・グレイラットはそんなに程度が低いのか?」

パウロ
「程度がどうとかはわからないけど、少なくともおれは、きみみたいに初対面の相手を見下したりしない」

ジェイムズ
「なんだと?」

年齢も体格も違うが、グレイラット家の長男同士だ。
ふたりの間に剣呑な空気が漂う。
周囲の大人たちも、次第にその異変に気づき始めた。

フィリップ
「パウロ、兄上もその辺にして。
従兄弟同士なんだから、もっと仲良くしようよ」

パウロたちの間に入ったのは、それまで隣で様子を見ていたフィリップだ。

フィリップ
「ほら、ちょうどいい。
そろそろダンスタイムだよ。
ふたりとも、ご令嬢たちに声をかけてあげたら?」

ジェイムズ
「結構だ。私にはつれがいる」

フィリップ
「ああ、そうだったね。
今日は兄上の婚約者殿が一緒だった。
早く戻ってさしあげないと、ダンスできないよ?」

ジェイムズ
「ふん……では失礼、パウロ殿。
貴殿の最低限身につけられたダンスの腕前を、しっかり披露なさってください」

嫌味ったらしい言葉を残され、パウロの苛立ちが増していく。

パウロ
「なんだよ、あいつ!
本当にフィリップの兄なのか!? ってくらい、嫌なやつだったんだけど!?」

フィリップ
「そうだよ。ぼくの実の兄上だ。
あんな感じだけど本当に優秀な人でね」

フィリップ
「まぁ、あんまり気にしなくていいよ。
それより今日はせっかくの誕生日パーティーなんだから、女の子とのダンスを楽しんだら?」

パウロ
「楽しむって言ったって、相手がいなきゃ……」

フィリップ
「うーん……」

フィリップ
「あ。じゃあ、あそこにいる女の子たちは?」

パウロ
「え?」

フィリップが視線で促す先にいたのは、美しく着飾った令嬢たちだった。

フィリップ
「さっきからチラチラこっちを見てる。
パウロに声をかけてほしいんだよ」

パウロ
「おれに?」

フィリップ
「そうそう! だから、ほら!
早くダンスに誘ってあげて」

笑顔のフィリップに背中を押されて、パウロは令嬢たちのほうへ近づいて行った。

パウロ
「こ……こんばんは、麗しいレディ。
よろしければ一曲ご一緒していただけますか?」

つけ焼き刃。
右から左へ聞き流していたマナー講師の教えを、なんとか引っ張り出して、中心にいた令嬢をダンスに誘う。

パウロ
(こ、これでいいんだよな……?)

冷や汗をかきながらも笑顔は崩さない。

誘われた令嬢はにこやかな笑みを浮かべて、パウロの手を取った。

令嬢
「はい、もちろんですわ、パウロ様。
ご一緒できて光栄です」

パウロ
「よかった。では、参りましょう」

誕生日パーティーの主役とだけあって、パウロは会場の中心で踊らなければならない。

令嬢をエスコートして移動すると、父が呼んだ有名な楽団が演奏を始めた。

パウロ
(ダンス……ダンス……ステップ……ステップ……?)

ダンスレッスンから逃走したのは、一度や二度のことではない。
パウロのダンスレベルは、つけ焼き刃と言うのもおこがましいほど低かった。

パウロ
(ま、周りのステップを見ながら、いい感じに合わせて踊れば、なんとか……!)

パウロは剣術で鍛えた観察眼と反射神経で、なんとか対応していく。
ダンスを楽しむ余裕なんてもちろんなく、表情は険しい。

令嬢
「ふふふ……」

不意に音楽にまぎれて小さな笑い声が聞こえた。
一緒に踊っていた令嬢が微笑んでいる。

令嬢
「パウロ様、もっと私にくっついてくださいませ」

パウロ
「え?」

令嬢
「失礼ながら、ダンスが苦手なご様子……。
周りを見る必要はありませんわ。
どうぞ、私の動きに合わせてくださいませ」

令嬢
「ダンスで大事なことは笑顔です。
余裕たっぷりの笑顔でいらしたら、少しくらいのミスは誰も気にしませんわ」

パウロ
「そういうもの、なのか……。
じゃあ……お言葉に甘えさせてもらうよ」

令嬢に身体を寄せて、彼女の動きに合わせる。

パウロ
「!! すごい……周りを見て動くよりも、こっちのほうが自然に踊れてる……!」

パウロ
「本当にありがとう。えっと……」


令嬢
「お礼なんていいのです。
これで5年前の恩返しができましたわ……」

令嬢の言葉にパウロは首を傾げる。
その反応に、彼女は優しく目を細めた。

令嬢
「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私は5年前のパウロ様の誕生日パーティーにも来ていました」

令嬢
「その時に庭園を案内していただき、ドレスが汚れていることを教えていただいたのです」

パウロ
「そんなこと……あった、ような……?」

5年も前のことで記憶が定かではない。
パウロが思い出そうと記憶をたどっていると、令嬢はくすくす笑った。

令嬢
「パウロ様にとっては、ささいなことだったのでしょう。
でも、私はとても助かりました」

令嬢
「貴族の娘が汚れたドレスでパーティーに戻ったりしたら、恥さらしもいいところでしたから。
両親には怒られていたでしょうし、評判も落ちていたでしょう」

令嬢
「ですから、これは恩返しなのですわ」

パウロ
「そんなに前のこと、ずっと、覚えててくれたの?」

令嬢
「はい。忘れたことはありません」

パウロ
(なんだ……なんだ、この気持ち……)

胸の奥がぎゅっと締めつけられて、少し息苦しいような、心地いいような、不思議な感覚だ。

パウロ
(それに、なんでだろう?)

パウロ
(ダンスに誘った時より、今のほうがずっとかわいく見える……)

ドキドキしながら令嬢を見つめる。
彼女は頬を赤く染めながら、パウロの胸にすり寄った。

令嬢
「慣れないダンスで、お疲れでしょう?
この曲が終わったらふたりで抜け出して、少しおやすみしませんか?」

パウロ
「あ……うん、そうだね!
きみもずっと立ちっぱなしで疲れただろうし!」

曲が終わると、パウロは令嬢の手を引いて、誕生日パーティーの会場を抜け出した。

そして、彼女とゆっくり話ができるように、誰もいない空き部屋に入ると――。

令嬢
「やっと、パウロ様とふたりきりになれましたわ」

パウロ
「え、ええ!?」

令嬢が正面から抱きついて、パウロの背中に腕を回した。
ダンスの時もくっついていたが、その時とは雰囲気が違うことくらい、パウロにもわかる。

令嬢
「ずっと、こうしたかったと言ったら、はしたないと思われるかしら……?」

パウロ
「ううん、そんなことは思わないけど……。
ただ、急だったから、ビックリして……きみの気持ちは、すごく嬉しいし、ドキドキする……」

令嬢
「では、どうかこの先も――」

頬を撫でられ、熱い眼差しで見つめられる。
令嬢がそっと目を閉じ、パウロは吸い寄せられるかのように彼女の唇にキスをした。

パウロ
(や、柔らかい……!)

令嬢
「ん……パウロ、様……」

キスしながら彼女に導かれ、そのままソファーになだれ込む。

令嬢
「どうぞ……パウロ様の好きなように、なさって……。
それが私の望みですわ……」

パウロ
(おれの、好きなように……)

真っ赤な顔で誘われて、パウロはごくりと生唾を呑む。
知識はあるが、経験はない。
頭で理解しているのは、ざっくりとした流れだけだ。

パウロ
(おれの、好きなように……好きなように……!)

パウロは本能のままにドレスに手を伸ばした――。

女性と言う生き物に、パウロの本能は丸裸にされる。
その行為はあまりにも衝撃的だった。
淡い初恋の予感を吹き飛ばすには、充分なほど――。

令嬢と別れて、パーティーの会場にふらふら戻ったパウロに、フィリップが声をかけてくる。

フィリップ
「令嬢と抜け出して、何してたの?」

パウロ
「……すごい世界に、足を踏み入れたよ……。
これが、大人の階段を登るってことか……」

一度知ってしまったが最後、パウロはその世界から逃れることができなかった。
学校に戻ったパウロの生活に、剣以外に新たな習慣ができた。

中級貴族の令嬢
「ねぇねぇ、パウロ。
次はいつ、私と会ってくれるのかしら?」

パウロ
「んー、しばらくは無理だな。
他にも順番待ってる子がいるし、新規の子だっているし」

中級貴族の令嬢
「もう、冷たいのね!
さっきまであんなに情熱的だったのに!」

中級貴族の令嬢
「……なーんて、まぁ、いいのだけど。
私たちはお互いに割り切った関係だもの。
……でも、パウロ、気をつけたほうがいいかもしれないわよ?」

パウロ
「気をつける?」

制服を着終えたパウロは、中級貴族の令嬢の言葉が気になって首を傾げた。

パウロ
「気をつけるって、何に?」

中級貴族の令嬢
「私みたいに割り切れてない子が、何人もいるってこと」

中級貴族の令嬢
「ノトス・グレイラット家の長男と、こういう関係になって、夢見ちゃう子がいるの。
家格が低い子ほど余計にね」

パウロ
「ふーん……きみは夢を見ないの?」

中級貴族の令嬢
「わたくしの家は中級貴族ですもの。
将来を約束した方もいます。
あなたとはただの火遊びですわ……ってね」

パウロ
「はは、そっかそっか。
おれはきみのそういうとこ、けっこう好きだよ」

パウロ
「貴族らしく打算的なのか、それとも貴族らしくないのか、よくわからない感じが飽きなくて楽しい」

中級貴族の令嬢
「………………」

パウロがニコニコ笑いながら言うと、彼女は顔を両手で覆って溜め息をついた。

パウロ
「? どうしたの?」

中級貴族の令嬢
「……なんでもないわ。
私は少し休んで行くから、パウロは先に出て」

パウロ
「うん、そうする。じゃあまた」

パウロは空き教室を出ると、剣術の修行をするために演習場へ足を進めた。

水神流講師が学校を辞めて以来、パウロは師のいない水神流ではなく、実家で剣を見てくれる講師の剣神流をメインに鍛錬している。

パウロ
(新しい先生とは合わないんだよなぁ……)

そういうこともあり、パウロの学校生活は、剣術よりも女子生徒と遊ぶことに、だんだん比重が傾いてきていた。

パウロ
(このまま剣術がおもしろくなくなる……ってことは、ないと思うんだけど……張り合いがないんだよ)

パウロ
(その点、女の子を口説くのは、張り合いがあっておもしろいし、その先に待ってるのは楽しいコトだし……)

パウロ
「やっぱり、何事もひとりじゃダメってことかもな。
どこかで剣の相手、探せればいいんだけど……」

パウロ
(フィリップはいるけど、あいつ、剣術はからっきしで相手にならないもんな……)

素振りをしながら演習場を見回すが、他には誰もいない。
貴族の息子たちにとっての剣は、義務として学ぶ事柄の一環でしかないのだろう。

女生徒
「パウロ様ー!」

名前を呼ばれてそちらを見れば、同じクラスの女子生徒が演習場の外で手を振っている。

女生徒
「少しお休みになられて、一緒にお茶でもいかがですか?
実家から美味しい茶葉とお菓子が届きましたの!」

天真爛漫な彼女を見て、ぐだぐだ考えていた悩みが姿を消す。

パウロ
(難しく考えるのは苦手だ)

パウロ
(今がおもしろければ、それでいいよな)

パウロはクラスメートの彼女と、ふたりきりのお茶会を楽しむことにした。

女生徒
「パウロ様とこうして時間を過ごせるなんて、まるで夢のようですわ」

パウロ
「ははは、そんな大げさな。
同じクラスなんだし、もっと気楽にしてよ」

女生徒
「だって……パウロ様には、女の子のお友達がたくさんいらっしゃるでしょう?
それも、みんな可愛い人ばかり……」

女生徒
「わたしは、そんなに可愛くないし……。
今日は勇気を出してお誘いして、本当に良かったですわ」

頬を染める彼女の手に自分の手を重ねる。
彼女の頬の赤がより鮮明になった。

パウロ
(おっと? この反応……イケるのでは?)

パウロが直感に従って口説こうとした時、その場に乱入者が現れた。

貴族令嬢
「ちょっとあなた! 勝手にパウロに近づかないで!
ちゃんと順番を守ってちょうだい!」

パウロ
「先輩……」

年上で気の強い彼女は数人の取り巻きをつれて、女生徒を睨みつけている。

女生徒
「じゅ、順番……?
そんなものがあるんです、か?」

貴族令嬢
「とぼけないで。
ノトス・グレイラット家のご子息に関わる話を知らずに、ご本人に近づいただなんて、信じられるとお思い?」

女生徒
「そ、そんな、わたしは……ただ、パウロ様と仲良くできたらって……」

貴族令嬢
「見たところ、家格は高くなさそうですわね。
どうせ玉の輿でも狙って、お手つきになれればと考えているのでしょう?」

女生徒
「お手つき!?
そんな、はしたないことは、決して……!」

パウロ
(あーあ……)

それは、疎いパウロにでもわかるほどの失言だった。

貴族令嬢やその取り巻きの令嬢たちとパウロは、関係を持っている。
はしたないという言葉は、そのまま攻撃になるのだ。

貴族令嬢
「……あなた? 今のはどういうつもり?」

パウロ
(仕方ないか……)

パウロは席を離れて、貴族令嬢の前に立った。

パウロ
「先輩、その辺にしてあげて」

貴族令嬢
「パウロ、これは女同士の話です。
あなたは口を挟まないでくださる?」

パウロ
「でも、おれのことだろう?
彼女とはクラスメートとして話してただけ。
それももう終わるところだったんだ」

パウロ
「だから、先輩さえ良ければ、これから時間あるかな?
一緒に過ごせればと思ったんだけど……」

彼女の手を取って、指先を絡めながら言う。
少し上目遣いを意識すると、貴族令嬢のほうから手を握ってきた。

貴族令嬢
「もちろん、時間はいくらでもありますわ」

パウロ
「じゃあ、早く静かなところに行こう」

貴族令嬢
「そうですわね!
そちらの方を相手にしていては、時間がもったいありませんもの!」

どうやら彼女の機嫌は直ったらしい。
チラリと女生徒を見れば、顔を青くして俯いている。

パウロ
(あの子が忠告してくれたのは、こういうことか。
貴族って、女の子同士でもドロドロしてるんだな……)

パウロ
(ちょっとこういうのは面倒かもしれない。
おれはただ、楽しくすごしたかっただけなのに……)

そして、面倒ごとは更に続く。

翌日、剣術の授業に向かおうとしていたパウロとフィリップの前に、剣を持った男が立ちはだかった。

中級貴族の子息
「パウロ・ノトス・グレイラット!
貴様に決闘を申し込む!!」

パウロ
「……は?」

フィリップ
「パウロ、何したの?」

パウロ
「さぁ……?」

中級貴族の子息
「今回のことは、私だけでなく、我が家への侮辱だ!
決して許さん!」

無駄に偉そうな態度の中級貴族の子息に、パウロは眉を寄せた。

パウロ
「急になんだ?
何を言いたいのかさっぱりなんだけど?」

中級貴族の子息
「とぼけるつもりか?
私の婚約者に手を出しておいて!!」

パウロ
「きみの婚約者?」

フィリップ
「パウロ、きみって人は……。
そういうことはバレないようにするものだよ」

パウロ
「……人のこと言えないだろう?
この前、女の子3人と修羅場になってたのは、どこのボレアス家の次男だ?」

フィリップに呆れたように言われ、パウロも同じような顔をする。
中級貴族の子息は無視されたと思ったのか鼻息を荒くした。

中級貴族の子息
「さあ、剣を抜け!
それとも今すぐ跪いて首を垂れ、私に謝罪するか!?」

パウロ
「謝罪するつもりはない。
あれは完全に同意の上でのことだったし。
だけど、剣を抜くつもりもない」

中級貴族の子息
「逃げる気か?」

中級貴族の子息の挑発に、パウロは冷静に相手を見据える。

身体は向こうのほうが大きいが、筋肉もロクについていない貴族の坊ちゃんと決闘したとして、自分が負ける要素は微塵もない。

パウロ
「軽々しく決闘って言うけど、それだけの覚悟があるのか?」

中級貴族の子息
「なんだと?」

パウロ
「正式な決闘であれば、殺されても文句は言えないし、殺しても罪には問われない。
本当に、きみはそれだけの覚悟があるか?」

中級貴族の子息
「……っ!?」

中級貴族の子息の身体がびくりと震える。
彼の手から剣が滑り落ちた。

中級貴族の子息
「このままで、済むと思うなよ……!
後悔させてやる……!」

中級貴族の子息は顔を真っ赤にして、その場から立ち去って行く。
取り巻きの生徒が落ちた剣を拾い、慌ててその背中を追った。

フィリップ
「大丈夫なの?」

パウロ
「だいじょうぶじゃないか?
前にも似たようなことを言われたけど、その時は結局なんにもなかったし」

フィリップ
「ふーん……」

どうせ今回も口だけだろう。
パウロはそう思いながらフィリップと剣術の授業へ向かう。

彼の元に、父親からの帰宅を命じる手紙が届いたのは、それから一週間後のことだった――。



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