パウロ外伝 家出編3話【ノトス家の悪童】


アマラント・ノトス・グレイラット。
実の父親で、ノトス家の当主である彼からの手紙により、パウロは急遽、実家へと戻って来ていた。

アマラント
「何故、呼び戻されたかわかるな?」

パウロ
「わかるな? と言われても……。
手紙には帰って来いとしか書かれていませんでしたし」

アマラント
「最近のお前の行動は目に余る。
学校での奔放な振る舞いを、知られていないとでも?」

パウロ
「そのことですか……。
まぁ、確かに最近は遊びすぎていたかもしれません……」

女子生徒同士の自分を巡るいさかいは、面倒なものに感じられて、楽しい気分を削がれていた。

パウロ
「でも、相手とも同意の上ですよ?
初めてじゃない……他の男と遊んでいる子もいましたしね」

パウロ
「だから、そんなに気にしなくても――」

アマラント
「ふざけるのもたいがいにしろ!!」

怒鳴りつけるのと同時、父親の手がパウロの頬を張り飛ばした。

剣術で鍛えられた腕で殴られ、身体のできあがっていないパウロは尻もちをつき、呆然とアマラントを見上げる。

パウロ
「っ、父様……?」

アマラント
「学校にやれば貴族としての自覚を持ち、ノトス・グレイラット家の長男らしくなると信じていた。
だが、お前は私の信頼をこんな形で裏切った」

パウロ
「裏切ったって……女の子と遊んだことが、ですか?
だけど、グレイラット家の男なら、女の子に興味があるのは仕方ないって、前に言って……」

パウロ
「それに……! 方法はどうであれ、貴族の娘と親交を深められたのは重畳だって!
今後のためにもなるって言ったのは、父様じゃないですか!」

アマラント
「責任を転嫁するな。
女と親しくしたことを咎めているのではない」

パウロ
「じゃあ、何を――」

アマラント
「お前には相手を見る目がないのだ。
ノトス・グレイラット家の長男に抱かれたと簡単に吹聴する、口の軽い相手を遊び相手に選んだこと」

アマラント
「手を出した女の背後関係……彼女がどこの家の令嬢で、誰と婚約をしているのか、我が家とのパワーバランスはどうか、そういったことをお前は全て無視していた」

アマラント
「だから、中級貴族の婚約者などに手を出してしまうのだ。
先日、中級貴族から苦言を呈する手紙を受け取ったぞ」

パウロ
(それって……)

先日学校で揉めた時のことだとすぐにわかった。
パウロはグッと拳を握る。

パウロ
「あいつ、自分でかかってくる度胸がないから、父親に頼み込んだってことですか……!
なんて情けないヤツなんだ……!」

アマラント
「情けない? それをお前が言うのか?」

冷たい声。
怒りでいっぱいになっていた頭が急激に冷やされていく。
父親の視線がますます冷たいものになっていた。

アマラント
「お前の尻拭いをしたのは、私だ。
上手く収めることはできたが、中級貴族に借りを作ったこと変わりない」

パウロ
「!! 中級貴族に借りを……?」

アマラント
「……教えてやろう、愚かな息子よ」

アマラント
「私が貴族の女と親交を深めるのを良しとしたのは、ふたりきりの場であれば、より深い他家の情報を手に入れられるからだ」

アマラント
「ただ己の楽しみのためだけに女を口説き、楽しければどんな女でも構わないと言うのならば、お前はただの色情魔だ」

パウロ
「色情魔……おれは……」

口を開いても反論できない。
心のおもむくまま楽しんでいたのは事実だ。

アマラント
「お前のような兄を持ったピレモンが哀れだな」

パウロ
「え……?」

アマラント
「まだ幼いが優秀だ。
何より、貴族らしい振る舞いを身につけようと、真面目に取り組んでいる」

アマラント
「おい!」

従僕
「……はい。お呼びでしょうか?」

部屋の前にいたのだろう。
アマラントの呼びかけで従僕が中に入ってきた。

アマラント
「パウロを部屋へ入れておけ。
私が許可するまで一歩も外へ出すな」

従僕
「かしこまりました。
……坊ちゃま、参りましょう」

パウロ
「………………」

茫然自失。言葉も出ない。
アマラントは父親の目をしていなかった。

見限られてしまった。
パウロがそれを察するのは、あまりにも簡単だった。

従僕につれられて自室に戻る。
学校から帰ってそのまま父親の元へ行ったため、部屋に足を踏み入れるのは久し振りだ。

従僕
「坊ちゃま、くれぐれもおとなしく、反省してお過ごしください。
旦那様のお怒りはただごとではございません……」

パウロ
「……おとなしくする以外ないだろ」

パウロ
「いつの間に、窓に格子なんてハメたんだ?
父様は最初からおれを閉じ込めるつもりだったんだろう?」

従僕
「……また後ほど、お食事の時間に参ります」

パウロの問いには答えてくれず、従僕は部屋を出て行く。
外から鍵のかかる音が聞こえた。

パウロ
(そう言えば昔から父様は、貴族らしくあれって言ってたよな……)

パウロ
(それって全部計算して、利益になるか考えて動けってことか?)

パウロ
「……そんなのって、なんにも楽しくないじゃん」

楽しいかどうか、心が動かされるかどうか、それだけを基準に行動していた結果が、この軟禁生活だ。

パウロ
(確かにおれは、奔放にしすぎてヘタを打った。だけど……)

パウロ
(自分が全部間違えてたとは思わない)

パウロ
(利益かどうかを計算してしか行動できないなら、貴族なんて、つまんない生き方だ……)

軟禁生活が続く。
従僕が「形だけでもいいので……」と言ってきたが、パウロが反省の言葉を口にすることはなかった。

施錠された扉の向こうは別世界のようだ。
それでも使用人たちの声は聞こえてくる。

メイドA
「家庭教師のみなさんが褒めていらしたわ。
ピレモン様はまじめで優秀なんですって!」

メイドB
「それにとても落ちついていらっしゃるの。
まだ幼いのに、とても紳士的なのよ」

メイドA
「お兄様と違って、小さな紳士様よね。
パウロ様は小さい頃から、アタシたちメイドのお尻を触ったり、スカートに潜り込んだりしてたのよ?」

メイドB
「そのまま成長なさったのね。
旦那様のお怒りを買って、閉じ込められるのも無理ないわ」

メイド長
「ああ、みなさんここにいたんですね。
ピレモン様が呼んでいらっしゃいましたよ?」

メイドA
「まあ! ピレモン様が? すぐ行かないと!」

メイドB
「アタシたちを気に入ってもらえたら、専属のメイドにしていただけるかもしれないわ!
ほら、急ぎましょう!」

バタバタと走り去って行く足音が聞こえた。
どうやら自分たちの声がパウロに聞こえているとは、夢にも思っていないらしい。

パウロ
(ピレモンか……)

ピレモンは何度か、パウロの元を訪ねて来たことがあった。

パウロ
「……なんの用だ?」

ピレモン
「決まっているではありませんか。
にい様のことが心配だったのです……。
ずっとお部屋に閉じこめられているから……」

ピレモン
「鍵を開けてくれてありがとう。
にい様とふたりで話したいから、しばらく外でまっていて」

従僕
「かしこまりました」

従僕が頭を下げて部屋を出て行き、兄弟ふたりきりになる。
ピレモンが幼い顔に似合わずにやりと笑った。

パウロ
(あ……)

ピレモン
「こんなところに閉じ込められるくらいだから、みんなが言ってたのは、本当のことだったんだ!」

ピレモン
「パウロは頭が良くないから、貴族の当主にはふさわしくないって!」

パウロ
「わざわざそんなことを確かめるために、ここまで来たのか?
従僕まで騙して、お前、暇なんだな」

ピレモン
「なんだと!?」

ピレモン
「ぼくはヒマじゃない!
優秀だから時間があまってるんだ!
家庭教師の先生だって褒めてくれるんだからな!」

パウロ
「そんなに大声出していいのか?
外に聞こえるぞ。
使用人の前でネコかぶってるんだろ?」

ピレモン
「っ、な、なんだよ!
ぼくを脅すつもりか!?」

ピレモン
「そんなことしたら、父様に言いつけてやる!
そうしたら二度と出してもらえないんだからな!」

パウロ
(父様の名前を出して虚勢を張る……。
これがおれの弟か……)

パウロ
(しばらく会わない間に、ますますどうしようもないヤツになってるな)

5歳にもならない弟に何を言われても、痛くもかゆくもない。
パウロはゴロリとベッドに寝転んだ。

パウロ
「まともな話はなさそうだな。
おれは忙しいんだ、さっさと出て行けよ」

ピレモン
「どこがだよ! 寝てるだけじゃないか!
ぼくをバカにしてるのか!?
できそこないのモンダイジのクセに!」

パウロ
「それも誰かに言われたのか?
……まぁ、なんとでも言えばいい」

ピレモン
「ッ……ふ、ふん! 強がってるだけだろ?
おまえは閉じこめられて、ひとりぼっちだ」

ピレモン
「父様も……母様だって、おまえのことなんか気にしちゃいないんだからな!」

パウロ
「……ん?」

ピレモン
「みんな言ってるぞ!
おまえはノトス・グレイラット家の恥だって!」

ピレモンはパウロを見下すように笑うと、部屋を出て行った。
扉に鍵がかけられる音がする。

パウロ
(結局あいつは何をしに来たんだ?
……まぁ、どうでもいいけど……でも……)

パウロ
「さすがだな、ピレモン。
お前の笑った顔、すごく貴族らしかったぞ。
……おれの大嫌いな顔だ」

学校やパーティーでよく目にしていた、自分よりも下だと判断した相手に見せる笑顔。
弟はそんな笑顔をパウロに向けていた。

パウロ
(あいつの言ってたとおり、父様はおれを恥だと思ってる……。
愛されてなんて、いないのかもしれない……)

パウロ
(だけど、母様はそんなことないって断言できる)

部屋に閉じ込められたまま一日が終わる。
鉄格子のはめられた窓の外が、すっかり暗くなった頃、部屋の扉が開いて待ち焦がれたその人が、今日も入って来た。

パウロ
「母様! 今夜もいらしてくれたんですね!」

バレンティナ
「ええ、もちろんよ。
わたくしの可愛いパウロ……同じ屋敷にいるのに、こうして人目を忍んで深夜にしか会えないなんて……」

扉を閉める従僕の姿が見えた。
鍵を持っているのは当主のアマラントを除くと従僕だけだ。

バレンティナはアマラントに内緒で鍵を開けさせ、毎晩パウロに会いに来てくれていた。

バレンティナ
「わたくしからも、旦那様にお願いしているの。
早くパウロを許してあげてほしい、って……。
でも聞き入れてくださらなくて……」

パウロ
「母様が会いに来てくださるから、おれは別にこのままでもいいですよ!」

バレンティナ
「まぁ! そんなのダメよ!」

心配させないつもりで言ったことを、母は真っ向から否定する。
そしてパウロをそっと胸に抱いた。

バレンティナ
「パウロは小さな頃から、元気いっぱいの男の子だったでしょう?
こんな部屋なんて、あなたには狭すぎるわ」

バレンティナ
「母様に任せなさい。
必ずあなたをここから出してあげるわ」

パウロ
「……あまり無理はしないでくださいね」

パウロ
「父様がおれを簡単に許すとは思いません。
たぶんあの人にとって、おれは恥ずかしい息子でしょうし……」

軟禁を言い渡された日以来、父のアマラントの姿を見ていない。
最後に会った時の冷たい目が頭から離れなかった。

バレンティナ
「いいえ、いいえ、決してそんなことないわ。
旦那様にとって、あなたは大切な息子よ」

バレンティナ
「それにあの人は今でも、パウロに期待しているわ。
あなたなら立派に家を継いでくれるって……」

パウロ
「え……?」

バレンティナ
「いくら上級貴族とはいえ、剣の腕が立つだけでは生き残っていけないわ……」

バレンティナ
「だから、あなたが将来ノトス・グレイラット家の当主になった時に困らないよう、貴族らしくあれと、厳しく接しているの」

パウロ
「父様がそんなことを考えて……?」

バレンティナ
「ふふふ、信じられないって顔ね」

考えていることが顔に出ていたらしい。
おかしそうに笑うバレンティナに、パウロは自ら抱きついた。

パウロ
「確かに、すんなりとは信じられません……。
でも、母様がそうだとおっしゃるのなら……」

パウロ
「今度、父様に会いたいと言ってみます。
そこでちゃんとおれの想いを伝えて……、わかってもらえたら……」

パウロ
(おれのほうからも少しだけ、貴族の世界と……父様と、向き合ってみよう)

母親の背に腕を回してギュッと抱きしめる。

パウロ
(……?)

パウロは何か違和感を覚えた。
けれどそれは一瞬のことで、甘い香りのする母の胸に抱かれれば、すぐに頭から消えてなくなる。

その小さな違和感を見過ごしてしまったことを、生涯、後悔することになるとも思わず――。

それから数日後。

毎晩パウロの部屋を訪ねてくれていた母親は、何故かぱったりと姿を見せなくなった――。

パウロ
(どうしてだろう……。
母様が来てくださらない……)

パウロ
(まさか父様にバレて、母様も軟禁されたとか……!?)

いくら考えてみても正解はわからない。
部屋に軟禁されている状況でできることは、あまりにも少なすぎた。

メイド
「失礼いたします。
パウロ様のお夜食をお持ちしました」

パウロ
「!! ああ、入って!」

パウロが幼い頃に新人としてやって来た彼女も、今ではメイド長として立派に働いている。
食事のセッティングをするメイド長にパウロは近づいた。

パウロ
「従僕は外に?」

メイド長
「いいえ、扉に鍵をかけて、お仕事に戻られました。
坊ちゃまの食事が終わる頃を見計らって、戻っていらっしゃるかと思います」

パウロ
「そうか……。あのさ、メイド長、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

メイド長
「なんでしょうか?」

パウロ
「その……きみは母様の様子を何か知っているか?
軟禁されてから会えていないけど、元気なのかな?」

メイド長
「え……あ、それは……申し訳ございません。
部屋の外のできごとを坊ちゃまに伝えぬようにと、旦那様から指示されております……」

パウロ
「そこをなんとか、教えてもらえないか?」

メイド長
「……申し訳ございません」

メイド長の顔を見れば、口先だけでなく、本当に申しわけなく思っているのだとわかる。
それに……。

パウロ
(虚をつかれたような顔……間違いなく、彼女は母様に何が起きているのか知ってる!)

メイド長
「っ、坊ちゃま!?」

パウロはメイド長に手を伸ばすと、彼女のスカートの上からそっとお尻に触れた。

パウロ
「きみは昔から優しかった。
おれがこの中に潜り込んでも怒らなかったし、従僕から逃げる度にかくまってくれた……」

メイド長
「……メ、メイドとして当然のことです」

パウロ
「本当にそれだけ?
おれのことを思って、捕まって叱られないように、助けてくれてたんじゃないの?」

パウロ
「また、助けてほしい……」

メイド長
「……坊ちゃまは大きくなられました。
私の助けなど、もう……」

パウロ
「そんなことない。
メイド長の助けが今でも必要だ。
きみは、おれの優しい味方でしょ……?」

メイド長
「………………」

メイド長
「……わかりました。奥様のことをお話しします」

彼女は少し迷うような素振りを見せたが、パウロが縋るように見つめると、頷いてくれた。

メイド長
「実は奥様は……病気で身体を壊されて、床に伏せっておいでなのです……」

パウロ
「え……」

パウロ
「病気って……原因は!?
ちゃんと治療はしてるの!?」

メイド長
「旦那様が領内外から医者や術師を呼び集めているようですが、今のところ目覚ましい成果はなく……」

パウロ
「そ、そんな……」

今こうしている間にも、母親が病の床で苦しんでいる……。
そう思うと居ても立ってもいられない。

パウロ
(どうしてこんな時に、おれは軟禁なんてされてるんだ……!)

パウロ
「……母様に会いに行く」

メイド長
「!? まさか抜け出すおつもりですか!?」

パウロ
「……他に方法はない。
父様に頼んでも許してはくれないだろうし……。
おれに作戦があるんだ」

いつまでも閉じ込められたままなんてゴメンだ。
そう思ったパウロが軟禁されて以来、ずっと温めていた作戦だ。

パウロ
「成功させるためにはきみの力がいる。
絶対に迷惑をかけないって約束するから、おれに協力してほしい」

メイド長
「……わかりました。
私でお役に立てるなら喜んでお手伝いします」

パウロ
「ありがとう!
早速だけど……このあと、従僕が戻って来たら、おれが話があるって言ってると、伝えて」

パウロ
(作戦決行は少しでも早いほうがいい……)

パウロ
(母様、待っていてください……。
おれが必ず助けてみせます……!)

パウロはメイド長に作戦を話す。
そして決行の瞬間がくるのを待った。

翌日――。

従僕
「坊ちゃまー! 坊ちゃまー!
出てきてくださいませ! 坊ちゃまー!」

屋敷の中に従僕の声が響いている。

彼の気配と声が離れていくのを感じ、パウロはメイド長のスカートをめくって、中から姿を現した。

パウロ
「……もう行ったみたいだな。
メイド長、匿ってくれてありがとう」

メイド長
「い、いえ……もうよろしいのですか……?」

パウロ
「うん。おれに協力してるってバレたら、きみも叱られちゃうだろうからね。
作戦通り、ここまでで大丈夫」

メイド長
「そうですか……少し残念です――」

パウロ
「え?」

メイド長
「っ、いえ、なんでもありません……!
そ、それより、うまくいって良かったですね!」

パウロ
「父様に直接謝りたいって言えば、従僕が取り次いでくれると思ったんだ。
そうすれば部屋から出ることができる」

パウロ
「あとは簡単だ。
あいつの隙をついて逃げるのは昔から得意だったし、身を隠す場所を提供してくれる味方もいる」

例え従僕がメイド長を怪しんでも、スカートをめくって確認することはできない。

パウロ
「母様の部屋には誰かいる?」

メイド長
「奥様以外、誰もいないかと。
お医者様が来る時間は毎日決まっていますし、この時間、奥様は休まれていますので……んっ……」

パウロ
「そっか。ありがとう」

お礼を言いながら、メイド長の足を撫でる。
昔と違って女性を知った今、パウロの手は、はっきりと意図を持って動いた。

メイド長
「ぁ……ッ、パウロ様……い、急がなくて、よろしいの、ですか……?」

パウロ
「……ああ、うん、そうだな。
じゃあね、メイド長。お礼は今度また改めて!」

メイド長
「お礼……あっ! いえ、どうぞお構いなく!」

頬を赤く染めるメイド長と別れて、パウロは母親の寝室に急いだ。

聞いていたとおり、部屋の周辺には誰もおらず、簡単に中に入ることができた。

パウロ
(ぁ……)

久しぶりに足を踏み入れた母の部屋には薬のにおいが漂い、カーテンが閉まっているせいか以前より薄暗く感じる。
広いベッドの上に、母の姿があった。

パウロ
「母、様……少し見ない間に、こんなに、痩せてしまったの、か……?」

バレンティナ
「………………」

起こさないようにそっと母の手を握る。
皮膚のすぐ下の骨を感じるほど、肉づきが悪くなっていた。

パウロ
「……いや、違う……?」

バレンティナに触れていると、いつかの夜、母に抱きしめられた時に抱いた違和感が蘇ってきた。

パウロ
「あの時……」

パウロ
「母様は、痩せ始めていた……?」

パウロ
(――ってことは……、母様はあの時すでに体調が悪かったのか?)

パウロ
(おれはどうして……、気づくことが、できなかったんだ……!)

自分の鈍感さに腹が立つ。
やり場のない怒りと情けなさで、パウロの視界が滲んでいく。

パウロ
「母様……おれは……」

自分にできることは何かないか?
パウロはぐちゃぐちゃになっている頭で考えて、必死に答えを模索する。

やがてパウロはひとつの結論に達すると、乱暴に涙をぬぐって、バレンティナの手を両手で強く握った。

パウロ
(思い出せ……学校で習っただろ。
あの日は珍しく授業に出て、ちゃんと聞いてたはずだ)

パウロ
「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん、『ヒーリング』……」

パウロの手が淡く光って――、

――すぐに、消えてしまった。

母親の様子に変わりはない。
苦しげな青白い顔で眠っている。

パウロ
(ダメ、か……)

まじめに授業を受けていなかったことも要因だろうが、そもそも、パウロには魔法の才能がない。
それは本人も自覚しているところだ。

パウロ
(おれの力じゃ、母様を治療できない……。
おれにできることは……)

パウロ
(……なんにしても、軟禁なんてされてたら、おれは何もできない。だったら……)

眠るバレンティナの頬にキスを落とし、パウロは母の寝室を出た。

そしてその足でまっすぐ向かうのは、父親の執務室だ。
途中で鉢合わせた従僕が何か言っていたが無視した。
今はそれどころではない。

アマラント
「何やら屋敷が騒がしかったようだが?」

パウロ
「気のせいではありませんか?
そうだよな?」

従僕
「……はい、その通りでございます。
屋敷はいつもと変わりございません」

まさか、一瞬の隙をついて逃げられたと報告するわけにもいかないだろうと判断して従僕に話を振れば、彼はパウロに同意した。

アマラント
「……いいだろう。それで?
パウロ、お前には部屋で反省していろと言ったはずだが?」

アマラント
「私は暇ではないのだ、用があるなら手短に済ませろ」

パウロ
「それは……どうしても直接、父様に謝罪がしたかったんです……」

パウロ
「この度はおれの……いえ、私の軽薄な行動で、ノトス・グレイラット家の名前に泥を塗ってしまい、本当に申し訳ございませんでした」

パウロ
「今後は心を入れ替えて、家名に恥じないように気をつけたいと思います。
どうかお許しください……」

アマラント
「………………」

アマラント
「私は暇ではないと言ったはずだ。
今お前に構っている時間はない。
……勝手にしろ」

パウロ
「はい! ありがとうございます。
学校では私の醜聞が立っているでしょうし、しばらくは家でおとなしくしています」

アマラント
「屋敷でおとなしく、か……」

アマラント
「いいだろう。ただしバレンティナに……、お前の母親に会うことは禁じる」

パウロ
「え……な、なんでですか?」

アマラント
「彼女はお前に甘すぎる。
この条件を飲めないと逆らうのであれば、軟禁を解くのは時期尚早やもしれんな」

決定権を持つアマラントにそんな風に言われてしまえば、パウロは条件を飲むしかない。

パウロ
(母様の病気のことも言ってくれないし、そうまでして、会わせたくないってことか……?)

思うところはあったが、反省した態度を見せる必要がある。
パウロは渋々「わかりました……」と頷いた。

アマラント
「わかったなら、さっさと出て行け」

アマラントはパウロから目を背けると、中断していたのであろう仕事を再開させた。

パウロ
(思ってたよりも、あっさり軟禁を解いてくれたな)

パウロ
(……それだけ父様はおれに興味がない……、どうでもいいと思ってるってことかもな……)

パウロは執務室を出て扉を閉め――、

アマラント
「例の医者はどうなった?」

パウロ
(医者……?)

聞こえてきた言葉に、扉を閉める手が止まる。
わずかな隙間を残して、パウロは中での会話に耳をそばだてた。

従僕
「はい……途中までの足取りは終えたのですが、どうやらスラム街に流れたようで……。
その先の行方は未だ……」

従僕
「スラムの人間は過去を捨てております。
それに外部の者には口が堅く……」

アマラント
「言い訳はいい! さっさとヤツを……、スラム街の医者をつれて来い!!」

アマラント
「あの者の腕と知識さえあれば……!
バレンティナを救えるのだ……!」

パウロ
(!!)

パウロ
(スラム街の医者……?
その人がいれば、母様が助かるのか……?)

それからのパウロの行動は早かった。
気づかれないよう静かに扉を閉め、服を着替えて屋敷を抜け出す。

目的地はスラム街。
治安の悪い地域だが不安はなかった。

パウロ
(大丈夫だ。おれには剣がある)

そう意気込んで、ひとりスラム街に飛び込んだパウロだが……。

ゴロツキA
「医者だぁ?
そんなご立派な人間がココにいるかよ!」

ゴロツキB
「ここはガキの来るトコじゃねぇ!
ケガする前に帰んな!」

誰に話を聞いても……。

医者の情報を掴むことはできなかった。

パウロ
(手がかり、ゼロ……)

パウロ
「……まだ初日だ、明日こそ……!」

その日から屋敷とスラム街を往復する日々が始まった。

早朝に出発して、夜遅くに帰宅する。
幸か不幸か、今の慌ただしい屋敷にパウロの動向を気にかける人間は誰もいなかった。

そして……何度もスラム街に足を運ぶ中で、パウロはひとりの娼婦と浅からぬ仲になっていた。

娼婦
「貴族の屋敷に出入りしていそうな医者ねぇ……」

パウロ
「どんな情報でもいいんだ。
腕のいい医者の話、聞いたことないか?」

娼婦
「うーん……アタシが何か知ってたら、アンタに教えてあげてもいいんだけど……手がかりが少なすぎるからねぇ」

娼婦
「今でも医者をやってんなら、スラムになんていないわ。とっくに街を出て、医者として普通に働いてるに決まってる」

パウロ
「普通に働けない理由があるとか?」

娼婦
「おバカさん。そもそもそんな事情があるなら、貴族に知られてるわけないでしょ」

パウロ
「……でも、それしかないんだ」

職業と居場所。
それ以外の手掛かりはない。

パウロ
(父様もまだ見つけてないみたいだし……)

暗い顔で溜め息を漏らすと、娼婦がパウロの腰になまめかしく腕を回してきた。

娼婦
「落ち込んじゃった? アタシが慰めてあげようか?
アンタなら特別料金でいいけど?」

パウロ
「……いや、今日は帰る。
はい、これ……何か情報が入ったら教えて」

屋敷からくすねたお金を渡せば、娼婦は真っ赤な唇をパウロの唇に重ねた。

娼婦
「シゴトしてない娼婦にこんなに渡すなんて……。
ねぇ、やっぱり少しだけ時間をおくれよ。
すぐに極楽を見せてあげるから……いいでしょ?」

パウロ
「……そんなにすぐには、終わらないと思うけどな?」

娼婦
「本職の本気、体験させてあ・げ・る」

溜まった熱を発散し、極楽を見たパウロがスラム街を出る頃、外はもうすっかり暗くなっていた。

パウロ
(今何時くらいだ? すっかり遅くなった……)

ふと空を見上げると――、

パウロ
「ぁ……」

満点の星空。
大小の白い光がまたたき、その儚い美しさに、パウロの足が止まる。

パウロ
「星が流れた……」

パウロ
(星空ってこんなにきれいだったっけ?
ああ……母様にも見せてあげたいな……)

バレンティナの寝室のカーテンは締めきられていて、星空なんて見ることができないだろう。

パウロ
(この時間だったら、屋敷の人間は眠っているはずだ)

パウロの止まっていた足が自然と動き出した。
その時――。

バレンティナ
「パウロ――……」

パウロ
「! ……母様?」

母親がスラム街にいるはずがない。
それなのに穏やかに吹いた風に乗って、バレンティナの声が聞こえた。

どくり、と心臓が跳ねる。
頭の中で警鐘が鳴り響いた。
瞬間、パウロは地面を強く蹴って走り出した。

急いで屋敷に戻る。
夜中もとっくに過ぎているというのに、屋敷には灯りがついていた。

パウロ
「母様……!!」

迷いなく母の寝室に向かって走る。
勢いに任せて扉を開け放ち、飛び込むと……。

ピレモン
「うぅ……うわあぁぁあああ!! 母様ぁぁああぁ!!
目を開けて、ッ、目を開けてよぉぉ……!!」

アマラント
「バレンティナ……すまない……。
きみを、助けることができずに……すまない……!」

ベッドの脇でピレモンとアマラントが膝をついている。
母のバレンティナは、血色の失せた顔で眠っていた。

パウロ
「……うそだ」

震える足で近づいて行く。

パウロ
「母様……?」

そろそろと手を伸ばす。
しかし母に到達する前に、その手は乱暴に振り払われた。

ピレモン
「母様にさわるな! おまえのせいだぞ!」

パウロ
「……は?」

ピレモン
「おまえのせいで! 母様は死んでしまったんだぞ!!
返せ! 返せよ! 母様を返せ!!」

パウロ
「ッ、ふざけるな! なんだよ、おれのせいって!?
いくらおれのことが嫌いだからって、適当なこと言ってんじゃ――」

アマラント
「黙れ!!」

パウロ
「と、父様……」

アマラントの怒声にパウロは動きを止める。
父親は弟をその手で抱き上げた。

ピレモンは父の腕に抱かれてわんわん泣き始める。
冷たい怒りが滲むアマラントの目が、パウロを射抜いた。

アマラント
「今までどこへ行っていた?」

パウロ
「それは……」

アマラント
「いや、いい、言うな。
白粉と下品な香水のにおい……。
それが全て語っている」

アマラント
「母親の死際に娼婦のところへ行っていたのだな。
やはり貴様は色情魔か」

パウロ
「!! そ、それは……!
ちゃんと理由があって――」

アマラント
「黙れ。言いわけなど聞いたところで、バレンティナが息を吹き返すことはない……」

アマラント
「パウロ、愚かな息子……貴様が、バレンティナを殺した」

パウロ
「!? 父様まで、何を……」

アマラント
「屋敷の中のことを、私が知らないとでも……?
バレンティナは毎晩のように貴様の部屋に足を運び、慰めていたであろう……?」

アマラント
「彼女は元々、身体が丈夫ではなかった……。
毎晩出歩き、貴様のことで心労を重ね……、体調を崩してしまったのだ」

パウロ
「そんな……」

アマラント
「享楽に耽る貴様の奔放さが、バレンティナを殺した……私の最愛の妻を……、ピレモンのたったひとりの母親を……!」

母親は身体が弱かった?
……そんなの知らない。

自分が負担になっていた?
……そんなの知らない。

ぐらぐらと視界が揺れて、パウロはその場に膝から崩れ落ちた。

アマラント
「……こいつをつれ出せ。
バレンティナの亡骸に近づかせるな。
これは当主としての厳命だ」

従僕
「……かしこまりました。
坊ちゃま、どうぞこちらへ……」

パウロ
「………………」

力が抜けてしまったパウロは、従僕に支えられながらバレンティナの寝室を出た。

そして、葬儀の日までパウロは母の傍に行くことを禁じられ、使用人たちも頑ななまでに、最期の別れをさせてくれなかった。

パウロ
(母様が死んでしまったのは……)

パウロ
(おれのせい、だったのか……?)

バレンティナの死をきっかけに、パウロと屋敷の人間たちの間にあった溝は、修復不可能なほど深くなっている。

父親のアマラントはパウロを完全に見限り、ピレモンに全ての愛を注いでいた。
当主のパウロの扱いは、使用人たちにも影響している。

パウロ
(自分が生まれ育ったとは思えないくらい、居心地の悪い場所になったな……)

パウロは家から逃げるように学校へ通っていたが、貴族の子女ばかりの場所は屋敷と同じくらい居心地が悪い。
結局12歳になる前に、学校へ行くのを辞めてしまった。

パウロ
(父様は何も言わない……。
おれのことなんて目に入ってないんだろう……)

アマラント
「本日はよくおいでくださいました。
ピレモン、みなさんにご挨拶をなさい」

ピレモン
「はい!」

ピレモン
「みなさま、本日はわたくし、ピレモン・ノトス・グレイラットの5歳の誕生日を祝う、パーティーに足を運んでいただき、ありがとうございます!」

その日はピレモンの誕生日パーティーが開かれていた。
パウロの時も豪華な内装だったが、今回はその比ではないほどに煌びやかだ。

パウロ
(名目上は兄だから、参加するように言われたけど……)

アマラントはピレモンをつれて、招待客ひとりひとりに挨拶をしている。
その笑顔の明るさたるや……。

パウロ
(自慢の息子って感じだな)

パウロ
(それに比べておれは……壁の花?
あれ? 壁の花って男にも使うんだっけ?)

パウロ
(……ん?)

令嬢A
「……!!」

令嬢A
「パウロ様……」

令嬢B
「だ、だめよ! 声なんてかけちゃ!
あっちに上級貴族家のご子息がいたわ!」

令嬢A
「そ、そうみたいね!
ご挨拶に参りましょう!」

パウロ
(なんと言うか……)

何度か顔を合わせた令嬢たちが、パウロと目が合った瞬間に逃げていく。

パウロ
(初体験の相手さえも、か……)

貴族たちの中で自分がどんな風に評価されているかを、パウロは理解していた。

フィリップ
「………………」

パウロ
(フィリップ……)

しばらく会っていなかったフィリップが、覚悟を決めたような顔で近づいてくる。

パウロ
(やめろ、来なくていい)

フィリップ
「!」

視線を合わせて首を横に振れば、フィリップの足が止まった。
それでいいと、パウロは頷く。

ピレモン
「にい様、こんなところにいらしたのですか?」

壁の花になっていたパウロの前に、本日の主役が現れる。
周囲の目があるからか、弟はよそ行きの顔をしていた。

パウロ
「主役がこんなとこに来ていいのか?」

ピレモン
「にい様がおひとりでいるのが見えたので。
お加減でも悪いのですか?
そうならお部屋で休まれたほうがいいかと」

パウロ
「いや、大丈夫だ。問題ない」

ピレモン
「本当に? だって、こんなに顔色が……」

そう言いながらピレモンが顔を近づけてくる。

ピレモン
「……わかんないかな? おまえはジャマだから、会場から出てけって言ってるんだよ」

パウロにしか聞こえないような声で言うと、ピレモンがにやりと笑った。

ピレモン
「ぼくの誕生日パーティーに、にい様がいてくださらないのは、さみしいけど……、にい様の身体が大切ですからね」

パウロ
「……そうか。
じゃあ、おれは退散させてもらうよ。
……退屈で死にそうだったからな」

弟からの敵意にも、以前とは打って変わって手の平を返した貴族の人間にも、腹が立つ。

周囲に聞こえるように言って、パウロは目に痛いほど煌びやかな会場を出た。
ついでに、屋敷も、出る――。

パウロ
(ずっと昔から……貴族の世界なんて、おもしろくないと思ってた……)

パウロ
(おもしろくないどころか、今は……)

パウロ
「なんて、胸くそ悪い世界だ」

利己的な人間ばかりで、利益のためなら家族ですら簡単に切り捨てて、それを当然のことにしている。

貴族の世界を疎むパウロの足が進んだ先は、正反対の世界と言えた。

ゴロツキA
「貴族のボンボンが何しに来やがった?」

ゴロツキB
「キレーな服着てんじゃねぇか。
へっへっへ、身ぐるみはがせてもらうぜ!」

パウロ
「……ちょうどいい。
今、おれ……俺はムカついてたんだ。
暴れたい気分だった……!」

向かってきたゴロツキたちに、パウロは素手で殴りかかった。

弟の5歳の誕生日、この日を境にパウロは貴族の世界に背を向けて、スラム街へ入り浸るようになるのだった――。



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